【チャペルテペックとメキシコの歴史】 メキシコ・インターン体験記

こんにちは!メキシコシティの渡辺です。

週末にTCFのローカルスタッフと一緒にチャペルテペックに行きました。

チャペルテペックにはお城や歴史博物館などがありメキシコの歴史について学ぶことができました。

そこで今週から3週にわたりメキシコの歴史について簡単にお話ししたいと思います。

 

メキシコは現在もスペイン語が使われているほどスペインの影響をものすごく受けていて約500年たつ今でもそれが残っています。

 

メキシコは元々アステカ帝国でありましたが、1521年スペインのエルナン・コルテスにより征服されてしまいました。そこから300年近くスペイン人による植民地支配を受けることになります。

1808年7月16日、ナポレオン率いるフランス軍がスペインに侵攻しているニュースがメキシコに広がりました。それを受け「ミゲル・イダルゴ」が自分たちも出来ると植民地支配をするスペインに対し反乱を企てます。

※ちなみにこの「ミゲル・イダルゴ」は現在TCFのオフィスの住所として名前が残っています。

そして1810年、ケレタロからグアナファト、メキシコシティへ侵攻しますが、メキシコシティの手前モンクローバでスペイン軍につかまり1811年7月31日、死刑となりました。

 

その後すぐに独立運動の後継者としてマリア・テクロ・モロレス・イ・パヴォン(以下モロレス)が名を上げメキシコ南部を支配しました。1812年にはオアハカ、翌年にアカプルコを支配し、1814年アパチンガン憲法(三権分立、奴隷制廃止)を定めました。

強い組織であったモロレスの軍でしたが、その頃スペイン本国ではナポレオン戦争が終結しスペインもより一層軍事力を強めました。

そして1815年12月22日モロレスは、スペイン軍のイトゥルビデにより銃殺刑とされました。

 

これまでミゲル・イダルゴやモロレスを苦しめてきたイトゥルビデはそれにより名声を手にしていましたが、スペイン人とメキシコ先住民のハーフという事もあり地位が上がることはありませんでした。出世ができないイトゥルビデはその後、自由主義の影響を受け独立

派に移行しイグアラ綱領を発表し1821年8月24日 コルドバ条約を結ばせメキシコ独立の立役者となりました。

 

 

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